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当時の有力者の内臣団は、次の様な構成になっていたと推定される。 太宰(内臣団を統括。秘書室長と言えば分かり易いか) ↓ 少宰(副官。分野毎に複数存在する) ↓ 秘書団(文官。執務を司る。執事とも解釈できる) 私兵団(武官。日常はご主人の警護、有事の際は部隊を構成) 料理番(「宰」の原意。) 宦官(女性の世話、雑務) では、孔子はと言えば、少なくとも「志学」、すなわち15歳の時には、秘書団に新設された「学術班)に身を置いたと考えられる。 ところで、「幵官氏」をご存知であろうか。 孔子が19歳頃に結婚したのが、この幵官氏の娘。宋の出身だと伝えられている。 いい加減にして欲しい。この時代、公族を、有力者を除き、他国と通婚することはない。その場合、身元不明な女を嫁にすることはない。それに通史によれば、孔子は宋の出身(小生は全否定)。下手すりゃ、近親相姦になる。 幵は「干戈を交える」の干を並べて作った、奇妙な文字。干は「盾」の意。すなわち、「幵」は「盾がぶつかる様子」。従って、幵官は「武官」のこと。 結論を言おう。 幵官氏の娘は、「子路のお姉ちゃん」。 (続く) 追記 「春秋の風 論語の心 孔子の生」の「春秋編」、「論語編」、「孔子・弟子・家族編」を、宮崎市定先生に捧げる。
by 3-shikou
| 2008-01-01 16:51
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