|
宰予(宰我)が魯公の内臣団の一陳、それも中枢に位置する一員であることは、孔子との問答でもうかがえます。 いずれも文章も、宰予(宰我)の方が態度が大きく、孔子は直接叱り付けることはしていません。 何故なのか。 宰予(宰我)が魯公の内臣団を統率する家柄。 孔子は季武子の内臣団の一員、しかし、代々内臣集団を束ねる家柄ではない。 最上位の諸侯の奴隷(=内臣)の方が、次位の貴族の奴隷よりも格が上なのです。 しかも、一方は集団を統率する家柄、他方は己の与り知らぬ幼弱時の事件が理由とは言え、奴隷としては新米。 ですから、宰予(宰我)が孔子の下で学んだとしても、それ以前の時点で本人が教養人でしたし、云わば下位の人間を師とするのは、心穏やかでなかったでしょう。 宰予(宰我)の最大の特徴は、後世から数限りない筆誅を加えられていること。 加筆した側の心情が分かります。 曾子・孟子一派にとっては、恨み骨髄だったのです。 斉で政争に巻き込まれて死んだと言うのは嘘。 この時代、誰が潜在的な敵国に優秀な人材を貸し出すものですか。 当然、族滅も嘘。奴隷なんだから、一族もへちまもないです。 こうして、嘘を一枚一枚、薄皮を剥がすように取り去っていかねばならない所に、真実に迫るための苦心があります。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 3-shikou
| 2008-02-08 11:53
|
ファン申請 |
||