|
高柴(子羔)が仮に実在したとしても、その役割はただひとつ、仲由(子路)を他国で客死させるための舞台装置のひとつに過ぎません。 曾子 - 孟子とその一派の嫌らしい所は、都合の悪い人物はすぐに外国に流して現地で殺させる。 宰予(宰我)なぞはその好例で、何故彼が斉で客死したことになっているかと言うと、宰予が死んだとされる年、斉では内紛があり、宰予と同じ字(子我)を持つ宦官が、それに巻き込まれて殺されているからで、これは要するに「宰予=宦官」と貶めたかったからで、事実はそうでないと考えられます。 話を戻して、ですから高柴(子羔)はほとんど活躍していません。 無理もないです。仲由(子路)は魯で、無事に死んだのですから。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 3-shikou
| 2008-02-11 15:40
|
ファン申請 |
||