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孔子は後世、聖人として仰がれることになったが、何故聖人になり得たかは、これまで立証されてこなかった。 諸橋博士は、35歳前後で孔子には聖人の意識があったかのように書かれておられるが、もしその通りであるならば、孔子は聖人どころが大馬鹿者である。 35歳で自分を聖人視する人間なぞ、今も昔も総スカンを食っていただろう。昔なら、確実に殺されていた。 その実例があるではないか。キリストが。 聖人たる必要条件は、「奇跡を起こすこと」である。 孔子の人生にも、奇跡としか言えない僥倖があったからこそ、後に聖人として尊敬の対象になったのではないか、そう考えると、合点の行く所がある。 実は、孔子の父、叔梁紇こと陬紇(字は叔梁)について、かつて顔徴在こと施氏女とは初婚であったとの仮説を立てたが、最近は再婚説に傾いている。 では、初婚の相手は誰かと言うと、これも施氏女。 つまり、こういうことになる。 叔梁紇こと陬紇は最初、施氏から妻を娶った。それが施氏女。男の子にも恵まれた(それが孟皮)が、妻に先立たれた。 身分の高い家柄同士の結婚は、政治的意味合いも含まれる。 妻に先立たれれば、夫側はどうするか。 相手側と仲違いしていない限り、妻の縁者を再婚相手に選ぶことになる。 もう一度、施氏から嫁を貰うことになった。それが施氏女その2。孔子の母である。 何故そう言えるのか。 答えは孔子が起こした奇跡にある。 (続く)
by 3-shikou
| 2007-12-17 20:55
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