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説明が後先になって申し訳ないが、孔子が後世、「聖人」と称えられるためには、本人にその自覚がなくとも、奇跡を起こす必要があった。 奇跡は生まれた早々に起こった。 前550年に、父の陬紇を含めた陬一族が、臧氏の没落に伴い族滅されたことは既に考証した。 その後、陬氏の名前が出てこないのは、主だった人物が処刑(殺害)されたからである。 とすると、大きな疑問が残る。 腹違いの長男の陬孟皮でさえ、この際に殺害されたと考えられるのに、何故、孔子は生き残ったのか。奴隷に落とされたにせよ。 こう考えれば説明がつく。 陬を占領した季孫子は当初、孔子も含めて皆殺しにする考えであった。 平清盛は源頼朝を殺さなかったばかりに、後に族滅の目に遭った。 源平の例を引くまでもなく、敵に情けをかけることは、自分の身に災いが降りかかる元である。 しかし、季孫子は幼き孔子を生かした。 何故殺さなかったのか。実母である施氏女(夫の陬紇から言えば後妻の方)の必死の懇願を受けたのではないか。 顔懿姫と贈り名されるくらいであるから、きっと美人であったに違いない。 孔子の実母は、季孫子の「女」(=妾)になったのである。 (続く)
by 3-shikou
| 2007-12-24 19:29
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