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孔子の生年が紀元前551年とすると、同517年時点の年齢は34歳です。 そして、この年は魯に大事件が起こった年でした。 昭公が季孫子との反目の末、国外に出奔した年です。 この際、季孫子は魯公が代々所有していた、或いは魯公に味方した諸都市を収容したと思われます。 とすると、何が必要になるか。 新たに占拠した都市の代官が必要になります。 所謂弟子の第一世代(孔子との年齢差15歳以下)の内、冄耕(伯牛)、冄雍(仲弓)、仲由(子路)は、確実に季孫子の内臣です。 新たに獲得した城邑を治める要員に、彼らは間違いなく駆り出されたと考えられます。 しかも、現地に赴任したのは、前517年よりあまり下らない時期です。 ですから、35歳前後で弟子は相次いで現地に赴いているのです。 この結果思わぬ形で、孔子は仕事がなくなりました。季孫子の私的官僚を育成するという任務が。 季孫子も、内臣に教育を施すことの是非と、その結果はこの時点で判断できませんでした。中国史で初めて官僚を育成したのですから。 ただ、学問がためになることだけは理解できたと思われます。 手の空いた孔子を活用するには、家庭教師をさせるのが一番です。 ですから、季孫子一門の若者に教育をつけていたと考えられます。 とすると、子貢は季孫子系の有力者の子弟ということになります。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 3-shikou
| 2008-02-18 22:12
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