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孔子が何故、30歳になって「教壇に立つ」、つまり季孫子(当主は季武子)の「私的官僚団育成係」を務めることになるまでの15年間、宮中の国庫に通い続けて伝も含めた国家機密を頭に叩き込んだ理由のひとつに、「季孫子の子弟の家庭教師」であったことも挙げられます。 しかし、もっと大きな理由があります。 15年と言う歳月は、全ての国家文書(解説部分の伝を含む)を暗記するに足る時間です。 これだけの知識人は、魯の図書館は愚か、当時の中国全土にも居ません。 その「歩く国家資料」を、季武子は手に入れたのです。 ところで、春秋は原則として、魯の歴史書です。 この時代、宋や鄭、或いはご本家の周に、それに相当するものは無かったのでしょうか。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 3-shikou
| 2008-05-26 11:27
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