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両者に共通点があるとすれば、それは「独学」と言う点です。 実はもうひとつ有ります。 孔子も曾子も、「高貴な家柄に生まれながら、政変に巻き込まれて奴隷に身を落とす羽目になった」のです。 しかも、これは追い追い説明する予定ですが、両者は血縁的に近かったのではないかと思われます。 ですが、立場が異なったのです。 孟孫子を支持する立場(曾子)と、季孫子を擁護する立場(孔子)に。 曾子としては、異議申し立てをする立場にあると考えたでしょう。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 3-shikou
| 2008-04-08 22:42
曾参(曾子)。間違いなく孔子の弟子ではありません。 直接の師弟関係がないから、後に「孝経」を偽造したりして、あたかも親密は関係にあるかの如く、後世に伝えたのです。 孔子は季孫子系の内臣です。 これに対し、曾子は孟孫子に仕える内臣(家内奴隷)です。 ですから、孟孫子系の曾子が、季孫子系の孔子に教わると言うのは、有り得ません。 そもそも孔子が教師になったのは、季孫子が内臣団を私的官僚に育て上げようと考えたからで、従って、その主旨は「内臣団の官僚化」と「子弟の教養向上」にありました。 とすると、あくまで季孫子とその周囲しか、孔子から教わることは出来ませんでした。 また、年齢が離れすぎていますから、仮に曾子が弟子の一因となりえても、それは孫弟子としてです。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 3-shikou
| 2008-04-07 21:02
言偃(子游)は45歳下の弟子です。 その後の経歴からみて、季孫子の内臣団の一員と推測されます。 この人物は少し注意を要する点があります。 孔子の弟子は当初、ほとんどが内臣団出身でした。 これは、季孫子が私設の官僚団の育成を始めたからです。 その後、季孫子の子弟が孔子に家庭教師になって貰いました。 では、私設官僚団の育成はどうなったか。 この任務はある時期から、孔子の手を離れたと思われます。 つまり、初期の弟子達、それに季孫子の子弟に譲られたと思われます。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 3-shikou
| 2008-04-06 20:24
子貢(端木賜)にせよ、有子(有若)にせよ、子夏(卜商)にせよ、姓から悪意ある加筆が加わっているから、性質が悪いのです。 共通するのは、各人の祖先、親が全く分からないこと。 消す必要があったのです。 論語の最終版は、孔子の子孫と、曾子の末裔と、孟子の合作による改竄の集大成と考えられます。 本来の著者を然るべき位置に戻す必要があるのです。 それが、後生の責務です。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 3-shikou
| 2008-04-03 17:19
子貢も有子も、曾子によって経歴も言動も訳が分からなくされていますが、いずれも季孫子の一員とすると、子夏も同列の人物と言う推論が得られます。 つまり子夏も、子貢や有子と極めて近い、高位の人物と考えられます。 根拠もあります。 この3人、私見によれば、「論語」の編集及び執筆者です。 とすれば、少なくとも「同志」の関係になければならないです。 そして、子夏にも曾子の手が加わっています。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 #
by 3-shikou
| 2008-04-02 23:40
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